手書きフリぺGrindHouse magazine、商業誌化への道



GrindHouse magazineの起点、原型が、New Tips from GrindHouseと題した手書きのガリ版新聞のようなフリぺにあったことは、前回書いたとおり。90年代中盤まで東京都北区王子にあったクラブ、3rd Club Birthで毎月第2土曜日に開催してたDJクラブイベント、GrindHouse nightで入場者全員に無料配布してた。

こういう言い方もなんだけど、フリぺを配り始めてからは毎月面白いようにお客さんの動員数がうなぎ上りとなった。北区王子に毎月300人以上集ってくれてた。それも東京からだけじゃなく神奈川、千葉、埼玉などは当たり前で、はたまた仙台、新潟、名古屋、大阪から遠路はるばるきてくれたお客さんも決して少なくなかった。それに合わせてフリぺのページ数もどんどん増えていった。もう弊社のスタッフだけじゃ手が回らなくなり、大勢の有志たちが開催数日前に弊社にきてくれて手分けして手書き作業をしてくれてた。それはまさに中学、高校の新聞部の作業のようだった(笑)。そして、そのフリぺは一時リクエストをいただき、TOWER RECORDS、disk union、新星堂の一部店舗に置いていただけるまでになった。言うまでもなく、アッと言う間に店頭から姿を消した。

それから少しすると、周りから「そこまで需要があるならいっそのこと商業誌にすればイイじゃないか」という勧めを頻繁にされるようになった。雑誌に記事を執筆するということは自分の基本的な仕事だし、その当時でそれなりの年月やってた。だけど雑誌を編集し、発刊するということは経験がなく、正直どうしたらイイのかすらもわからなかった。

そんなとき愛知県瀬戸市に居を構える、アイドル誌で有名なインロック社より「うちからロック誌を出しませんか?」とお声がけをいただいた。そして99年12月に出版したのがGrindHouseだ。当時は最後にmagazineをつけてなかった。LIMP BIZKITのフレッド・ダースト(vo)が表紙で、パッケージツアーの走りとなったFamilyValues Tour第2回を現地に飛び、独占リポート&撮影し大特集した。同社とはそれ一号で終わったので、いわゆる“幻の創刊号”と言える(笑)。読者からの反応もよく、我々も作りたいと思ってたことから半年間の沈黙期間を設け、新しい版元に出会い、再度出版することを決めた。写真真ん中にあるのがリニューアル創刊準備号でB5サイズの全ページカラー52Pで10万部刷り全国のCDショップ、ライヴハウス、アパレルショップなどに置いていただいた。で、その翌月、2000年7月31日についにGrindHouse magazineリニューアル創刊号Vol.1が店頭に並んだ。一冊税込600円。キッド・ロックに311が表紙…時代を物語る(笑)。そして、発行日にブックファースト渋谷文化村通り店(現在とは違う場所にあった)で店頭販売を行うことになったので、自分もそこに立った。炎暑のなか大勢の方たちが買ってくださったことがめちゃくちゃ嬉しかったことを今もなお憶えてる。

Be aggressive, be pure, be straight!

2015年8月21日
有島博志


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