LED ZEPPELIN、RAGE AGAINST THE MACHINE…
そして私

改めて言うまでもなく、8月15日に終戦の日を迎えた。戦後70年という大きな節目でもあることから二度と引き起こしてはならない、どんなに年月が経とうとも風化させてはならない、忘れてはならない、次世代へ次々世代へと永遠に語り継いでいこう、と7月あたりから戦争を題材としたさまざまなドキュメンタリー番組、ドラマがTVで放映され、ドキュメンタリー映画などがミニシアターなどで劇場公開された。この話は機会を改めたい。



そんな7月下旬のある日、TVのニュース番組でLED ZEPPELINのリーダー、ジミー・ペイジがプロモ来日し、7月30日に広島を再度訪れたことを知った。平和記念公園の原爆慰霊碑に花を手向けてる姿が映し出され、ふと思った。「そうだ、71年の初来日のときZEPPELINは広島公演をやってたんだっけ」と。その収益のすべてを広島市を通じ、原爆犠牲者に寄付されたことも思い出した。当時、ジミー・ペイジは27歳だったそう。今回の広島再訪問であれから44年経った今もなお、ジミー・ペイジの広島への想い、平和の願いが揺らいでないことがわかった。そして、囲まれた報道陣の質問に対し、こうコメントした。
「あのとき起きたことは、世界すべてが忘れてはならないことです。心から平和を祈り続けたいと思います」
70年という歳月は長い、とてつもなく長い。実際に戦地に赴いたなどの戦争体験者はどんどん高齢化し、亡くなられる方々も多い。ジミー・ペイジも御年71歳。しかも戦時中敵対国だったイギリス人だ。1分にも満たない短い報道だったものの、ジミー・ペイジの想いや行動には心に刺さるものがあり、あの惨い戦争を別の角度から考えさせられるひとつの機会ともなった。



普段よく「どのバンドが一番好きなんですか?」と訊かれる。不意に訊かれると、これほど答えに窮する質問はない。仕事柄、日夜膨大な量の音源を聴く。よって「今もっともハマってるバンド」というのもあれば、「ここんとこずーっと聴き続けてるバンド」というのもある。と同時に、「オールタイムフェイバリットバンドという昔っから好きで常々聴き続けてるバンド」というのもある。そのひとつがZEPPELINだ。中学時代からギターを弾き始めた自分は、よくZEPPELINの曲をコピーしたし、作品ごとにかなりドラスティックに音楽的方向性が変ったりするので一喜一憂しっぱなしだったことも、今となってはいい思い出だ。全オリジナル作9枚をオリジナルマスターテープから再マスタリングし、これまで完全未発表だった制作過程のアウトテイクや、未発表音源をそれぞれの作品に関連するコンパニオンオーディオ(対を成す音源)として収録するデラックスエディションを発売するシリーズが始まったのは昨年初夏のこと。実は毎回密かに楽しみにしてた(笑)。そして、第4弾となる今回の『PRESENCE』(76年)、『IN THROUGH THE OUTDOOR』(79年)、『CODA』(82年)の3作品でシリーズ最終回となる。リマスタリングの効果は顕著で音の粒ひとつひとつが綺麗に立ち、総じて音質もすこぶるいい。ヘッドフォンで聴くと、そのすばらしさがよくわかる。特に『PRESENCE』『IN THROUGH THE OUTDOOR』が好きだ。ZEPPELINはロックバンドの始祖的存在のひとつ。彼らの出現、そして音楽がなければ、今現在のロックシーンはあり得ない。ZEPPELINを知らない世代にはぜひ聴いてほしいと思う。



広島に関して、もうひとつ伝えておきたいことがある。90年代USモダンロックの象徴であり、ミクスチャーロック拡散/浸透においてもっとも尽力した功労バンドRAGE AGAINST THE MACHINE。彼らが初来日した97年にこういうことがあった。第1回フジロック参戦での来日だったけど、その直前の7月24日にIMPホールで大阪単独公演、25日に赤坂BLITZで東京単独公演が実現した。その大阪公演前日、彼らは来日し、その夜自分は初めて彼らに会い、話をする機会を得た。夕食を摂ってるときのことで取材じゃなく、いわゆる歓談だ。その最中にザック・デ・ラ・ロチャ(vo)にこう訊かれた。
「明日、広島にいきたいんだ。ここから遠いのかな?」
自分はこう答えた。
「決して遠くはないけど、それなりに時間はかかるよ。詳しくはホテルのコンシェルジュに訊いた方がいいんじゃないかな。サウンドチェック前に戻ってくることを考えたらかなり早く出た方がいいと思うけど」と。
で、ザックは笑いながらこう言った。
「オレたちはサウンドチェックをやらないんだ。クルーたちに任せる。みんなを信頼してるから」
さすがに「サウンドチェックをやらない」には面食らった。こういうバンド初めてだと思った。で、実際翌日ザックはアシスタントとともに広島を訪れた。ちょうど2人がホテルに戻ってきたところで出くわしたので、ザックに「広島どうだった?」と訊くと、実に神妙な面持ちでこう漏らした。
「いったよ。いろいろ考えさせられたし、思うこともたくさんあった。だけどそれは言えないし、言いたくないんだ。悪いけど…」
そう言われてしまったら、こちらとしてはもう、「うん、わかった」と言うしかないし、引かざるを得ない。そして、それから2年強経った99年11月、3枚目『BATTLE OF LOS ANGELES』が発売された。その直前にザックとの電話取材が実現したので、広島のことを改めて訊いてみた。ザックは一度は広島について語ってくれたそうだ。が、しかし、取材終了後に本国のレコード会社の担当者より通訳さんのところに電話があり、「ザックの広島に関する発言はすべてカットし、絶対に世に出さないでほしい」と強く要請されたらしい。よってあれから16年も経つも、今もな自分はおザックがなにを語ったのかを知らない。知るのは通訳さんだけなので、とても懇意な方ということもあり、その後何度かしつこく教えてほしいとお願いしたのだけど絶対に教えてもらえなかった。まさにザックの幻の発言だ。きっとなにか強く思うところがあったんだろう…。このザックに関することはこれまでどこにも書いたことがなく、ラジオ番組やTV番組でも話したことがない話だ。終戦70周年で再び思い出した…。

Keep the faith!

2015年8月28日
有島博志
photography by(C)Ross Halfin


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