真のロッカー、スコット・ウェイランドに寄せて



既報のとおりだ。元STONE TEMPLE PILOTS(ストテン)、VELVET REVOLVER(VR)、ART OF ANACHY(AOA)、そしてソロ活動と世のロックシーンの最先端を歩んできたスコット・ウェイランドが12月3日、亡くなった。享年48歳。死因については発表されてない。SCOTT WEILAND & WILDBOUTSでツアー中、US中西部ミネソタ州ブルーミントンに向かう途中、ツアーバスのなかで亡くなってるのが発見された。

スコットには過去ストテン時代、VR時代を併せるともう何回も会い、数回対面取材もしてきた。貴重な現場にも何度も立ち会い、とてもレアな体験もさせてもらってきた。そして、自分が思い抱くスコット像とは…。

超一流のフロントマン、シンガー、パフォーマー、真のロッカーであり、と同時にとてつもなくしょーもない男で、いろんな意味でスゴい人、それだ。

初めてスコットに会い、対面取材したのはストテンが初来日した93年11月。デビュー作『CORE』(92年)が本国USで大ヒットしてるただ中の時期だった。“Sex Type Thing”“Wicked Garden”“Plush”が立て続けにコマーシャルヒットし、同作が本国だけで800万枚という天文学的な数字のセールスを叩き出していく最中だ。本国じゃデビューからいきなりスターダムにのし上がり、あちこちでブイブイ言わせてたものの、日本じゃ当時まったく受け入れ態勢が整っておらず、大阪、東京の2公演を観たけど客入りは寂しい限りだった。この、本国と日本との人気度、注目度の著しい違い、格差にスコットをはじめ、ディーン(g)とロバート(b)のデレオ兄弟、エリック・クレッツ(ds)はみな一様に戸惑いの体だった。東京公演の開演直前に会場のドレッシングルームでTV用の対面取材を行った(後にTV神奈川、つまりTVKの音楽番組で放送)。全員同席の予定だったのだけど、待てど暮らせどスコットは姿を現さない。開演予定時刻までさほど時間もなかったことからバンドのツアーマネージャー氏の指示により、スコット不在のままの3人への取材を始めた。少ししてからスコットが部屋に入ってきて取材に加わった。そのときのスコットの表情っていったらなかった。

「オマエら、オレさま抜きで取材を始めたな」と顔に書いてあるかのようだった。それが自分にとっての初スコットだった。

スコットは自身を本気でロックスターだと思ってた。取材中の発言で何度か聞いたことがあるし、行動や立ち振る舞いにもそれが時折ハッキリ表れた。「70年代じゃあるまいし、こういう人が今もいるんだ」と何度か思わされたものだ。この仕事に就いてもう長い。これまでにたくさんのアーティストに会ってきたけど、ここまでの人は正直スコットが初めてだ。バンドは商業的には大成功を収めてたものの、常に内部がギクシャクし、継続的にツアーを行なうこともままならなかった。ラウパー13参戦で再来日するまでに20年もの長いブランクがあったのは(とは言え、このときのフロントマンはLINKIN PARKのチェスター・ベニントン。最近脱退)、ひとえに3人のメンバーがスコットを持て余し、その期間が長すぎてしまい、スコットとの間に完全に“亀裂”ができてたからにほかならない。こんな話がある。3枚目『TINY MUSIC…SONGS FROM THE VATICAN GIFT SHOP』(96年)制作中、スタジオでスコットと3人は一度たりとも目を合わせることがなかったそうだ。この時点で両者の関係は完全に冷え切り、決裂してた。が、しかし、それでも3人はスコットに歩み寄り、常に関係修復を模索してた。が、しかし、その都度スコットが不祥事を起こし、その努力は水泡に帰した。長年そんなことの繰り返しだった。麻薬不法所持のかどで何度も逮捕され、しまいにはリハビリを兼ねてロサンゼルス郡刑務所に収監されたことすらある。収監中、ロサンゼルスを訪れた機会にアポなしでその刑務所にいきスコットに面会を申し込んだことがある。そのときのことをGrindHouse magazineの“幻”と言える創刊号に執筆した。



面会ができるなんて思ってもみなかったけど、案の定スコットが認めた面会人リストがあり、そこに名前がなければ面会できないと言われた。もし面会を希望するならスコットのカウンセラーか家族に連絡をとり、認めてもらうしか手立てはなく諦めざるを得なかった。差し入れに持っていったスコットの大好きなマルボロ赤ボックス5箱を渡してほしいと担当官に預け、刑務所を後にした。4枚目『No.4』(99年)が発売された直後のことだ。

次にスコットに会ったのは2000年10月。MTV’s Return Of The Rock Tourのヘッドラインにストテンが座り、GODSMACKとDISTURBEDを引き連れ全米中を転戦したときだ。US中西部オハイオ州デートン公演を観た。そのときのライヴリポートをリニューアル創刊間もないGrindHouse magazine Vol.3に掲載した。



開演前にはスコットの対面取材も成功した。実に7年ぶりのことだった。このときのスコットはとてもポジティヴでやる気満々でとてもよく喋ったことを今もよく覚えてる。その取材記事を先のVol.3と続くVol.4に前編、後編とわけて掲載した。



実はこのとき写真撮影は絶対にNGとストテン所属の本国のレコード会社Atlantic Recordsの担当嬢から強く釘を刺されてた。しかし、わかっててその“禁”を犯した。ステージに上がる直前のメンバーがあまりにもカッコよく、強烈なるオーラを放ちまくってたからだ。これがもうピリピリと肌に痛いほどだった。「これぞロック! ロックのカッコよさだ!」と咄嗟に思い、そうなると当然「この機会を逃したくない」ともなるわけで、スコットに許可を得、同行したカメラマン、マイカ・スミスに撮影してもらった。Vol.3とVol.4掲載のグループショットが、そのときのものだ。もちろん、ライヴもめちゃくちゃよかった。

続いてスコットに会ったのは、5枚目『SHANGRI-LA DEE DA』(2001年)発売直前期にカリフォルニア州サンタモニカにある超高級ホテルの一室で対面取材したときだ。このとき、この、冗談のようなホントのことが偶然あった。まるでTVドラマか映画で観るシーンだ。取材終了後、自分はホテル内のトイレに立った。用を足し始めると、そこにスコットが入ってきて、自分のすぐ隣に立ち、同じく用を足し始めた。スコットが言った。「また日本にいきたいよ」と。それを受け「日本のファンはみな首を長~くして待ってるよ」と。すると、こう語り出した。「日本にいけないのも、ツアーをコンスタントにできないのも、すべてオレのせいなんだ。新作の発売を機にオレはいろんなところを直さなきゃいけないんだ。そしてツアーをたくさんやるよ。日本にも戻りたいから」。上記MTV’s Return Of The Rock Tourんときのライヴがホントによかったし、対面取材でも前向きなスコットの姿を目の当たりにしただけに、自分はその発言を信じ、再来日即実現に一縷の望みを託した。2001年の第3回FamilyValues Tourでもストテンはトリを飾り、LINKIN PARK、PUDDLE OF MUDD、STAIND、STATIC-X、DEADSYを従え2ヵ月間にわたり全米中を巡演した。911対米同時多発テロから1ヵ月後にキックオフされたパッケージツアーゆえ厳戒態勢が敷かれたなかでの実施だった。US東部ニューヨーク州オーバニー公演を観た。このときのストテンのライヴも威風堂々としてて観応え十分だったのだけど、バンドがステージに上がる数時間前にバックステージエリアでとても和む光景を目の当たりにした。スコットが第一子ノアを抱き、あやしながらこちらにきたのだ。そして「ノアでーす」と紹介された。記憶はあやふやなのだけど、確か彼はまだ生後数ヵ月だったと思う。完全に“父親顔”で表情を崩しっぱなしのスコットは、それまでがそれまでだっただけにかなり強烈だったことは言うまでもない。

だけど、そうした好状態は長くは続かなかった。家庭内暴力で逮捕され、2人目のワイフとも離婚した。すぐに再婚するも、再度麻薬不法所持で逮捕されリハビリ施設に入所した。その最中の時期にストテンは活動休止をアナウンス。逆にスコットは当時スーパーグループと騒がれたVRのフロントマンとして音楽活動を再開し、2004年にデビュー作『CONTRABAND』を発売した。


この写真を初めて観たときスコットのあまりの激ヤセぶりに腰を抜かしそうだった

2005年2月開催のSONICMANIA05参戦で、VRは奇跡の初来日をとげた。スコットにとってはストテン初来日以来12年強ぶりの日本となった。このときの来日取材相手はダフ・マッケイガン(b)だったゆえスコットに話を聞くことは叶わなかったものの、取材現場で偶然会うことができた。上記写真のときより多少ふっくらしてたんで少し安心したことを今でも憶えてる。だけど、スコットに直接会ったのはこのときが最後となってしまった…。2007年3月、2枚目のフル作『LIBERTAD』が発売された。このタイミングで、VRをGrindHoue magazine Vol.42の裏表紙に登用した。取材記事としてはダフとスコットの2本立てとなってる。だけどスコットのは先方の指定によりeメールインタヴューで、しかも締め切りをとおに過ぎた頃にやっと質問の答えを受け取ることができた、というものだった。そして、これがスコットとの最後の取材となってしまった。このとき誌面に使った写真でもスコットはヤセこけてた…。



2007年11月、一度は再来日公演が決定したものの、スコットのビザ申請が認められず直前に全公演が中止となった。その後もVRの一員としてツアーに出続けるも、2008年4月にVRの公式サイトでスコット脱退が発表された。そしてスコットは2008年5月に古巣ストテに復帰、バンドは久しぶりに活動を再開し、9年ぶりとなる新作『STONE TEMPLE PILOTS』を発売し、ツアーにも出た。しかし、その状態は決して長くは続かず、2013年にスコットはほかのメンバーとの約束不履行を理由にバンドから追い出されてしまう。同年、ストテンは新EP『HIGH RISE』を出し、上記ラウパー13参戦での来日を迎えるのであった。ヴォーカルを務めたのはLINKIN PARKのチェスター・ベニントンだった。その後スコットはストテン在籍時代後期と被る時期に始めたソロ活動SCOTT WEILAND & WILDBOUTSを中心にしつつ、“プチスーパーグルーブ”と注目を集めたART OF ANARCHYのデビュー作『ART OF ANARCHY』(2015年)に参加し、独特の歌い回しを聞かせる。その後はSCOTT WEILAND & WILDBOUTSの活動に専念してたわけだけど、その最中の死だった。


ART OF ANARCHY

波乱万丈とは、まさにスコットのような生きざまを言うんだろう。現在の時代背景から言って、スコットのような真のロッカーは二度とこの世に出てこないと思う。そう、スコットは不世出のアーティストなのだ。ここに深いご冥福をお祈りします。そしてスコットよ、ありがとう。

Rest in peace…

2015年12月8日
有島博志


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