茂木洋晃(vo)、今だからこそ初期活動期、
そして音源を語る! part 1


G-FREAK FACTORYが『36.29N, 139.00E』(2004年)から実に9年ぶりと
なる最新フル作を完成させた。タイトルは未定ながら、この夏に発売予定だ。
それに向け、予習・復習の意味もかねて初期活動内容や、かつての作品群
(すべて絶版)を順を追って音楽的に振り返ってもらう。第1回の今回は初フル
作『mi-roots』(2000年)と、6曲入り初ミニ作『Northern Light Tribe』(2001年)
についてだ。

――初期の頃はどんな活動を?
「音源としては『mi-roots』が最初です。ボクたちずっと群馬でやってて、やっぱ県外に行きた
いっていう想いが強くて、だけど行き方がわからないっていうところから始まったバンドだった
んですね。で、最初に宇都宮に行こうかって。“東京に行こうか”にならなくて(笑)。宇都宮の人
ならなんとなく近しいイメージがあるんで、そこに行こうと。で、宇都宮のバンドをいきなりナン
パしたんです(笑)。大先輩のメタルバンド、ORANGEでした。口説き文句は“アナタたちを群馬
に招き入れる環境を作ります”で(笑)。つまり彼らに群馬にきてもらって、ボクたちは宇都宮に
行かせてもらうっていう“持ちつ持たれつ”をやってみようじゃないかって。ボクたちはいつも地元
でやれる場所が決まってたんで、違う環境に慣れなきゃいけないって。違う場所で演ってみた
かったんですね、とにかく。曜日とか関係なく、違う環境で演ることが大切なんでどっか突っ込
んでくださいっていうブッキングで、前橋ラタンっていうライヴハウスに出て。そしたら松山出身
のZERO HOURっていうバンドのレコ発で平日16時スタートのツーマンで(笑)。お客さん5人ぐ
らいしかいなくて。で、ライヴ後“打ち上げ行きます?”って訊いたら“行きます”って言うんすよ、彼
らが。打ち上げに行けば、あっさり帰すわけにはいかないわけですよ、地元ですから(笑)。で、
ちょっともてなしたら“おもしろい!”とか言われ、“一緒にツアーに行きましょう”って(笑)。で、その1
週間後にはツアー日程がきたんですね。音源のない、ステッカーしかないバンドをツアーに誘っ
てくれたわけですよ。そのツアーで出会ったのが、(横浜のライヴハウス)F.A.Dの当時の店長さん。
リハーサルとかを見てくれて“おもしろい! CLUB CITTA’でやってみるか!”っていう話をいきなり
されて(笑)。当時CITTA’でBONEDED BY BLOODっていうイベントが定期的に催されてて。最初
はHELLCHILDとPULLING TEETHに挟まれたフロアライヴだったんですけど…」

――それ、なかなか強烈な環境で(笑)。
「試練でした(笑)。楽屋COCOBATとAGGRESSIVE DOGSと相部屋で、なにしろ大先輩たちです
からボクたちなんて楽屋に入れないわけですよ(笑)。そんなところからあれよあれよという間に話
が進み、MICRO FORCE(現在閉鎖)っていうレーベルにお世話になることになったっていう。で、
『mi-roots』を出せたんです」

――『mi-roots』を今、どう捉えてます?
「ボクはスゴくイイと思ってます。作品制作中にちょっと突っ込み過ぎてしまい、アプローチが散ら
かっちゃったりすると“あ、違う違う”とか言って、より本物に近づけようとするじゃないですか。あの
作品は“あれもイイ、これもイイ”っていう単純な初期衝動と、いわゆる感覚だけで作ったものなん
ですね。それを今改めて聴くと確かに蒼いなって思いますよ。だけどその蒼さゆえの、理屈ってい
うか“こうじゃなきゃいけない”っていうものを簡単にブッ壊した作品だと思うんですね」

――続く『Northern Light Tribe』はいきなりメジャーデビュー作になったわけで。
   どういう経緯でメジャーに?
「MICRO FORCEが“(当時)東芝EMIがバンドに興味を持ってる”って言ってきたところからすべて
は始まったんですね。今思えば、この作品に限り、マネージメントがMICRO FORCEという形でス
タートしたんですけど、そのマネージメントがなにもしないから制作費などは払えない、みたいな感
じになって。で、全然よくわからない、みたいな(笑)。めちゃくちゃでしたよ。まぁ、強者が揃うレーベ
ルだったじゃないですか、MICRO FORCEって。BAT CAVE、SPANAM、GERONIMO…ボクたちと
GOOD4NOTHING以外はみんな“ウォ~”って言ってる人たちで(笑)。レーベルはけっこう無理した
んでしょうね、経営状態が悪化して。で、そうした所属バンドたちが一斉に“ふざけんなよ!”って始まっ
たんですけど、どうにもこうにもならなかったですね」

――世のなかに対するアンチテーゼや警鐘もあるでしょう。「メディアの言うことを鵜呑みにするな、
   自分たちの目で耳で確かめろ”って言ったのは、あの時代RAGE AGAINST THE MACHINEの
   ザック・デ・ラ・ロッチャ(vo)で。G-FREAK FACTORYもそういう強い気持ちと反骨精神があるに
   もかかわらず、メジャーにっていうのは極端に言えば矛盾してるわけで。
「言われてることはもっともで、ホントそのとおりだと思います。その後『島生民』(2003年)を出したのも、
これまたメジャーのPolystarなんですけど、それはなぜかというと“SUNNY ISLAND STORY”っていう
曲を世に出したかったからなんです。それがPolystarだったんです」

――メジャーを2社経験し、やっぱ体質に合わないとかってあったのでは?
「ありました! むちゃくちゃありましたね(笑)。だけど“こういうもんなんだな”っていうのが、よくわかりまし
た。『Northern Light Tribe』に収録されたリミックスだって知らないうちに仕上がってましたから。レコー
ディング当日に会ったこともない人がコーラス入れにきて」

――それじゃ『Northern Light Tribe』に対してはネガティヴだと?
「ボクは…全然好きじゃないです。もう忘れたい作品ですね(笑)」


文・有島博志/text by Hiro Arishima
協力・三山桜
photography by HayachiN


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