伊藤ふみおがKEMURIの活動歴20年を語る!

日本を代表するスカパンクバンド、KEMURIが今年結成
20周年を迎えた。その記念企画のひとつとして6月17日
に再録ベスト盤『SKA BRAVO』を出す。ベスト盤の話は
5月31日発行GrindHouse magazine最新号Vol90を読
んでほしい。ここでは長い20年のKEMURIの歴史を伊藤
ふみお(vo)に聞いた。


――KEMURIは95年結成ですね。ふみおさんは当初から海外志向が
強く、ひとりで現地へ頻繁に赴き人脈を作っていったという経緯があり
ます。その理由とは?
「なんとなく海外にはいかなくちゃいけないものだと思ってたんですよね。
日本人として海外に出ていろんなものを見ないとダメなんだと。日本人
が日本国内だけですべてを完結させることに、非常に危うさを感じてた。
それで最初から英語詞で歌いたいし、たくさんの人に聴いてもらうには
やっぱ自分から海外に出ていかないとって。それでなるべく可能な限り
外へ出ようと、そういう思いでした」

――それで得たものは大きかったです?
「やっぱ日本を離れてみないとわからないことってあるし、ぼんやりして
るとずっと日本のなかで終わってしまうような感じが怖かった。だから外
に出て、とにかく自分でいろんなものを見て、触って、話して。なんで歌
をやってるのかというと、歌詞や音を奏でることで、自分と自分以外のも
ののなにかと接点が作れるから。それと同じように、当時はKEMURIの
デモ音源を作り向こうに持っていき、ホントに少しの人とだけだったけど、
実際に話し触れ合い、KEMURIの音楽がきっかけで仲よくなったりもした。
それがスゴくよかったです」

――音楽的には最初っからKEMURIでスカパンクを演るということが明
確にあったんですか?
「そうですね、明確でした。最初に津田紀昭(b)が作ってきた曲が、“New
Generation”とかああいうホントにスカパンクの曲で、イイ音楽だと思えた。
歌詞にはPMA(Positive Mental Attitude)という言葉もあって。だから早
い段階で、これには絶対オリジナリティがあるって思ってましたし、それ
以来ブレていない、変わってない」

――KEMURIというバンド名の由来は? 言うまでもなく日本語ですよね。
「KEMURIって…なんとなくバンドとしての実態があるようなないような感
じだったから。煙って見えるけど掴みどころがないというか。日本語の名
前がよかった。それも発音のしやすい言葉が。で、KEMURIってイイんじゃ
ないかって、それで」

――KEMURIというバンド名でスカパンクで、世界に向けて音楽を発信
するということは初期から今日までまったくブレていない。でも、最初の
ポリシー、アティテュードを変えないで貫くというのは大変なことだったん
じゃないですか?
「やりたいことしかやってない。だから“なにやってんの!?”って思う人は多
いかもしれない、と思います。ボクのやること…KEMURIとしてじゃなくボ
ク個人としては、ホントにやりたいことしかやってないですね。音楽にして
も、ソロじゃ自分が好きな面白いと思うことを、面白いと思う人とやってたし」

――「PMA」はKEMURIが持つメッセージ、活動、アティテュード、マインド
のすべてをわかりやすい言葉に集約し、ずっとKEMURIのキーワードに
なってるものですね。ふみおさんにお会いしたり、KEMURIの音楽を聴い
たり、歌詞を読んだりしてずっと思ってたんですけど、いつも前向きなんで
すよね。どんなときでもあくまでも前向きに、先々を切り開いていくようなや
り方をしてきたという印象があります。
「基本的にはその時々に思ったことを歌ってるんです。毒を吐くような歌詞
も作ったことはあるけど、なんかやっぱりしっくりこなかったんです。その
時々のもので面白いと思ったものはやるけど、自分のなかでしっくりくるも
のとこないものとがあって、なんとなくそういうものが淘汰されていって今
に至るという感じかな」

――Roadrunner Japanと契約し、シングルやアルバムを発売し活動の
幅も広がりましたけど、同時にブレイクしたことで「PMA」という言葉が独り
歩きしてるというか、ちょっとしたトレンドになってた時期がありましたよね。
「ちょっと複雑な思いがありました。“PMAだから”って会社を辞めたり職を
離れ、すぐにうまくいかなくなっちゃったような人がスゴく多かったし。なか
なか本意が伝わらなかったりね。だけどPMAって真理だし、あとはその人
の根気と見てる方向だけだから。あるタイミングだから、もう考えてもしょう
がない、音楽でつながれればイイんじゃないかなっていうふうになりました」

――ブレイクしたとき、冷静でいられました?
「あまり覚えてないけど、バンド内の空気がスゴく変わり始めたっていうのは
あった。悪いふうに。“伊藤ふみおとそのほかのメンバー”みたいな。そういう
のはあったかな」

――そういう状態になると、ほかのメンバーとの距離感って出てきますよね。
ふみおさんは結成者でありリーダーだから、バンド内の環境が悪くなりこれ
はよくないと思い始めたとき、みんなをまとめようとしました?
「まとめようと必死でしたよ。やっぱその頃、歌詞から「PMA」というものがだ
んだん薄れていったと思います。KEMURI解散前の後期、特にRoadrunner
を離れUniversalに移籍した後の『CIRCLES』(2004年)あたりから」

――「PMA」という言葉から離れていったのは無意識でした?
「無意識だったと思います。個人的にはいつも前向きな気持ちで歌詞を書い
てるんだけど。今読み返して歌ったりすると…『Little Platmate』(97年)や
『77 Days』(98年)の頃のような歌詞じゃなくなってるなって。今もいろんな
時代の歌を歌うでしょ。ああいう時代だったからこういう歌詞になったのか
なって、歌いながらライヴ中にも考えたりしますよ」



――ふみおさんのステージでの立ち振舞いやMC、KEMURIの音楽や歌詞
からは、常々学校や会社でストレスや欲求不満が溜まってる人たちに向け、
KEMURIのライヴでうっぷんを晴らし、また頑張ろうよ、そういうメッセージ
を当時のほかのどのバンドより強く感じてました。それがKEMURI=「PMA」
となり、それゆえポジティヴで前向きで建設的なんだと。
「それはいまだに強いですね。だからケガだけはしないでほしいなと思うんだ
けど(笑)。ボクにとっても同じですから。KEMURIはボクにとって仕事であり、
やっぱライヴっていうのは開放のとき。ライヴまでは曲順にしてもなんにして
もいろんなことをホントに胃が痛くなるぐらい悩むけど、SEが鳴ってしまえば
あとは今までやってきたことをやるだけ。終わったら今日はあんなことができ
なかったとまたいろいろ考えるけど、また次頑張ろうってところにいけるでしょ? 
だからライヴはみんなにとってのそういう場」

――2003年に森村亮介(tp)が亡くなり怪我人も出るという交通事故に遭い
ました。しばらくの休止期間を経て活動を再開し、2007年に解散を発表しま
したけど、解散はふみおさんから見て、あの時点でKEMURIとしてやるべき
ことをすべて終えたという納得の上でのことだったのか、それともメンバーが
亡くなった事故のことがずっとあって、それもあっての解散だったのか、その
どちらだったんです?
「あのときはこのメンバーでやるべきことはやったなって。ホントに終わったと
思ってましたね。離れてみて、何年かしてみると、うーん?と思うことは少しあっ
たけど。そのときは完全にやるべきことはもうやっちゃったんだろうと思ってた」

――解散して、2012年のAIR JAM出演を機に再結成を発表するまでの間も、
KEMURIの思い出や輝かしい功績は絶対に消えないですよね。KEMURIで
やるべきことはやったと思い解散しても、引き続きいろんなものを背負ってる。
それはイイ思い出でした? それとも、そこから離れ違うところへいきたいとい
う思いが強かったですか?
「イイ思い出ですね。愚直にまで誠実に音楽でメシを食うということに対して
努力し尽したっていうのは今でも大きな自信です。今もやってることは変わ
らない」

――KEMURI解散後のソロ活動って、ふみおさんにとってどんな時期でした?
「KEMURIが解散した2007年からAIR JAMで復活する2012年の9月までの
5年ぐらいというのは、勉強させていただきましたとしか言いようがないぐらい
の時期でした。役者をやったんです。映画に出演させていただいたりして。
そこで同年代の、役者歴20何年という方たちと会って話を聞いたり、役者で
あるという彼らのプライドとか愛情を肌で感じ、これはうかうかしていられな
いぞなんて思ったりした。ミュージシャンとしていろんな場所にいって演奏し、
多くの人と触れ合ったような気になっていたけど、そこでまた知らなかった
世界を見たような気がした。そんなことがほかにもたくさんあって、すごく勉
強させていただいた5年間だったと思いますね」

――ミュージシャンも俳優も表現者です。音楽で培った主張や表現に、俳優
をやったことでプラスアルファが生まれたと思います?
「うん、今のKEMURIにはあります。KEMURIでやってたことを俳優として融合
させ、役者として表現するようなことまでには残念ながら至らなかったですけ
ど(笑)。確実に今、KEMURIに生きているところはあると思う」

――2012年のAIR JAM出演に際し、もう一度KEMURIをやろうと思ったきっ
かけや理由とは?
「解散当初、KEMURIを二度と再結成するつもりはなかったんです。Tシャツ
もCDも全部捨てたし。昔のものは一切家にないぐらいの状況だった。もうイ
イや、新しいことをやろう、俳優としてやるんだし、新しいところを見てやって
いこうと。KEMURIの音楽を一回も聴いたことがなかった。ソロでKEMURIの
曲をやったことがあるんですけど、そのときに解散後初めて聴いたぐらいで。
だけど、東日本大震災があったでしょう? そのときに…なんていうんだろう。
KEMURIも事故があり…まだまだ生きたいし、生きた方がよかったんじゃな
いかと思うような人たちが、自分の気持ちとは裏腹に天に召されてしまった。
その状況に対し、なにかやらにゃいかんだろうっていう。そう、それで再結成
を決断した」

――横山健も、東日本大震災のときSLANGのKO(vo)と一緒に救援物資を
現地に持っていったっていう話を後日取材で聞きました。ふみおさんも直接
救援活動に関わったりしたんですか?
「3月25日にいきました、救援物資を持って。仙台から気仙沼に入り、ずーっ
と海岸沿いを走って、全部見ました。発生からまだ2週間の時期でしたから、
ほとんど手つかずの状態でした。そのときボクは友人とNPOをやってたんで
す。その友人が通行のための許可証をとるから、現地に救援物資を持って
いこうという話になって。お手伝いをしたんですけど。なにもなかった。まだ地
面も濡れてて」

――大事な経験であるとともに、痛みや悲しみを伴うものだったと思います。
それが、KEMURIの再結成にどう影響したんでしょう?
「まず、なにかやらなくちゃいけないと思って。同時に、ただやればイイって
もんじゃないなというのもあって。前年度に横浜スタジアムでAIR JAMが復
活し即ソールドアウトした。スゴい規模だったし、みんなどういう気持ちなの
かなって。再結成って…KEMURIを二度とやらないと思ってたし。けっこうメ
ンバーそれぞれで考え方が違ってた。再結成し、年に1回くらいライヴをや
ればイイんじゃないのっていう意見もあったけど、ボクはそういうのじゃイヤ
だなと思って。いろいろ考えましたね」



――再結成するならしっかりやる、みたいな?
「そう、亡くなった人に対しても、今まで応援してくれてたファンに対しても失
礼だなと思った。KEMURIってそんなバンドじゃなかったでしょ? ボクはそ
んな思いでやってないよっていうのがあったんですよね。1回やるのもずっ
とやるのも同じだから、ずーっとやるんだったらAIR JAMには出る、と」

――ほかのメンバーと意見がひとつになるまで時間かかりました?
「けっこう早かったですね。MINAMIはKEN BANDもあるから、KEMURIを
やるつもりはなかった。それでほかのメンバー3人は、まぁ考えて、やりた
いって。結局なんだかんだでそういう話になったのは・・・再結成ツアーを
東名阪でやった後、年が明けてからくらいじゃないかな」

――KEMURIのCDやTシャツを全部捨てたくらいだから、ふみおさんのな
かでKEMURIは終わったというか、封印したというところまできてたじゃない
ですか。再結成にあたり、初めてみんなで集まってリハしたときどうでした?
「5年間という時間がなかったくらい自然だった。5年前の解散の雰囲気が、
なんとなくそのままで(笑)。リハーサルに使ったスタジオも、解散前によく
使ってたところだったんです。変えた方がよかったかもしれない(笑)。それ
もあっていろんな意味で“うわぁ~KEMURIだなぁ~”って(笑)」

――CDを捨てちゃったじゃないですか、歌詞覚えてました(笑)?
「歌詞はね、覚えてましたね。だけどアルバムはまた買いました(笑)。オー
クションで中古でもイイとも思ったんですけど、それも失礼かなって(笑)。
それで新品を買いましたね」

――以前と変わらない感じでまたバンドは始まり、ツアーで東名阪にいった
わけですね。スゴく歓待されたと思います。それでより再結成が現実的に
なったのでは?
「お客さんはスゴかったですね。AIR JAMに出たときも、目に見える人たち
はみんな泣いてるんだもん。KEMURIがガーっと人気でた98年頃は学生
だったんだろうけど、今は30歳を越えて立派な感じの人たちが泣いてるん
ですよ。それと同じような景色が再結成したときのツアーにありましたから。
いろいろ感じましたね。決断は間違ってないなと。もう一回、この国の状況
や音楽業界がどうであれ、スカパンクという音楽がどんな扱いであれ、と
にかく自分の性根をもう一回据えてやるしかねえなって、そのとき思った」

――10代後半から20代前半くらいのときにKEMURIを体験し、音源を聴
いて、歌詞に影響された世代が、ライヴに来て泣いている。そういう人た
ちが、再結成したバンドをまず牽引し、原動力になるのは間違いないで
すね。逆に、ものスゴく責任が大きくなることもあるでしょう。長く慕ってき
てくれた人たちを、絶対に裏切ってはいけないというプレッシャーとかあ
りました?
「ありました。解散したときボクは40代だったけど、40になってからの5年
間って、違いますよね。これからも、どんどん違っていくと思うんですよ。
肉体的にも。やっぱり肉体って心が作る部分が大きいし、やっぱりちょっ
とプレッシャーはありました。いまだに少しあるけど」

――再結成後、とても精力的に作品を出しツアーもしてますけど、はたか
ら見てると昔とさほど変わらないように思えます。メンバーが変わったりサ
ポートメンバーがいたりしても。ふみおさん自身の感覚として、昔と違います?
「昔、解散した当時のKEMURIとは全然違うバンドになった。いいバンドに
なったなって思いますね。もちろんいろいろと不満はあるし、ハッピーハッ
ピーじゃない。それはみんなそうだと思う。だけど今のメンバーは本当に
イイ。本当の初期のKEMURIのメンバーだったギターのT(田中幸彦)が
帰ってきてくれたし。だからやっぱり、言わなくちゃと思っていても言わず
に終わってしまったことや、耳にちょっと痛い話もあるけど、そういう話も
しながらやってかなくちゃと。それが今はイイんだと思いますね」

今後も20周年記念企画が目白押しだ。7月15日にはUSレコーディ
ングによる新作『F』の発売が控えているし、9月の20th Anniversary
Japan Tour “SKA BRAVO”も、非常に楽しみだ。アメリカよりLESS
THAN JAKE、REEL BIG FISH、SKANKIN’ PICKLEという朋友たちを招き、
東名阪を巡演する、というこれまで日本じゃ実現したことのない一大
スカパンクツアーだ。また、新作『F』や“SKA BRAVO”ツアーについて
の取材記事は、7月末日発行予定のGrindHouse magazine Vol91、
創刊15周年記念号に掲載する。こちらもお楽しみに!



text by Hiro Arishoma
translation by Wataru Umeda


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 KEMURI
 『SKA BRAVO』
 ONECIRCLE
 初回限定盤CTCD-20023
 通常盤CTCD-20024 / 6月17日発売