本当に久しぶりの単独来日!セドリック・ビクスラーに話を聞いた。

THE MARS VOLTAで来日はするもついぞ対面取材は実現しなかった。よって今回のセドリック・ビクスラ―(vo)への対面取材は実に17年ぶりのものとなった。久しぶりに会ったセドリックは以前よりだいぶふっくらしてた。新作『in・ter a・ll・a』についての話というより幅広く聞いた。

――2度の解散/再結成を経て、17年ぶりの新作を出し、一気に活動を再開させた今、調子はどう?
「上々だよ!最近Riot Fest Chicago 2017に出たんだ。実に楽しかったね。BAD BRAINSのH.R.(vo)にも会えたし、JAWBREAKERのブレイク(・シュウォーズンバック/vo.g)にも会えたし、よかったよ。自分が音楽を聴いて育ってきた人たちの傍にいられるっていうのはいいね」

――昨日、来日したんだよね(東京公演の前日9月19日)。やっぱ投宿先のホテルの周りを散策してたって感じ?
「飛行機んなかで眠れなくてさ。なぜか眠れなかったんだ。だからここに着いたときとにかく寝て、起きたら取材の時間になってたってわけさ(笑)」

――AT THE DRIVE-INとして何回も来日してるけど、昨夏サマソニ参戦できて今年9月に単独で、って1年という短期間で戻ってきたのは今回初めてだね。
「そうだね。またこられてスゴく嬉しいよ。最高だね!オレたちは日本が大好きだからね。今までもずっと大好きだった。日本とオーストラリアは、少なくともオレは毎回いくのが一番楽しみな国なんだ。日本じゃすばらしいヒストリーを築けてるし、ここまでこられるというのはプロモーションの効果が行き届いてるということの表われみたいなもんだからさ。ちゃんとプロモーションができてれば子供たちも連れてこられるし。きっと子供たちもスゴく気に入ると思うよ」

――もう父親なんだね。今いくつなの?
「そうなんだよ(笑)。4歳で双子なんだ」

――双子!
「そう(笑)。双子の男の子なんだ」

――セドリックはいくつになったの?
「42歳」

――じゃあ25歳のときに一度目の解散したんだね。
「そう、そうになんだよ」

――時の流れってホント速いね(笑)。
「ホントだよ」



――前は若くて好きな音楽を作り、好きなライヴもバンバンやり、それでよかったわけだけど、お子さんを、それも双子のお子さんを授かるとまったく違う責任を負うわけで。感覚とか意識とかってずいぶん変わったでしょう?
「まさにそのとおりでさ。本当にクレイジーだよ(笑)。今は子供たちがかつてのオレみたいな感じなんだよ。オレは自分の曲を子供たちに聴かせることはしないけど、ワイフがたまに聴かせるらしいんだ。DNAか血に組み込まれてるんじゃないかと思うよ。動きがオレにそっくりなんだ。だからオレは子供たちを例みたいにして使ってる。オレの若さの源だから(笑)。あの子たちがわけのわからないことを喋ってるのをメモったりしてさ。歌詞のヒントにもなるんだ。人生の展望に使ってるような感じかな。子供たちにはイマジネーションはおもちゃより強いんだっていう話をしているよ(笑)。ある朝起きたら片方が泣いててさ。“どうしたんだ?”と訊いたら、(べそをかいたような声で)“ブラザーがボクのイマジネーションを盗んだ…”なんて言うんだから」

――イマジネーションをねえ…。
「そう(笑)。だけどオレにはアイツの言いたいことがわかったんだ。デカいクマのぬいぐるみを買ってやったんだけど、そのクマを乗せる宇宙船をレゴかなにかで作ろうと子供たちは考えたんだ。だけどもう片方がそれを変えちゃったから。その言い方が面白かったから、“よし、そのフレーズいただきだ”と思ったよ(笑)」

――父親になったことで人生変わったね。
「うん、変わった。どう言葉で表現したらいいかわからないけど、子供たちはオマー(・ロドリゲス/g)とオレの一部でありながらも第三者、そんな気がするんだ。クレイジーになりすぎないように、またはクレイジーになることを煽りすぎないようにしないといけないね。オマーとセドリックを見張るものを人生に与えられたような感じかな(笑)」

――音楽をやるときは徹底してやって、あとはもうプライベートで父親に徹するとか、きっちり線を引いたりしてるの?
「そうするようにはしてるよ。ツアー後に飛行機を降りるときはいつも大変さ。まだアドレナリンが残ってるし、そこからただの父親になり、子供たちを学校に送るというのはね…。ほかの子供たちや先生たちにもみんなヘンな目で見られるし(笑)。だけど子供たちがみんなオレのところにやってきて話したがるんだ。オレの髪を引っこ抜こうともしたりしてさ(笑)」

――それウケる!(笑)
「スゴくクールなことさ。子供たちは学校でとてもよくやってるし、とても生き生きしてる。だから面白いよ。それに子供がいることによって、オマーともますます親しくなったんだ。と言うのも、今までのつき合いのなかで大きくモメたことが2度あってさ。一度目は大昔のツアー中、チップスを巡って。

――チップスってポテトチップスのこと?(笑)
「そう(笑)。オレたち腹が減ってて、アイツが寝てる間にオレがチップスを買って食べてたら、“オレにも食い物買ってきてくれないのかよ!”みたいな(笑)。それが初期の頃のケンカのひとつだった(笑)。それからもうひとつは公にも有名になったケンカで、それでオレTHE MARS VOLTAを脱退したんだ。その後アイツのお母さんが亡くなり、オレの子供たちが生まれた。だからオレはいつも言ってる。人生のサイクルがオレたちをまた引き合わせてくれたんだってね。アイツとの付き合いが復活したとき、うちの子供たちとの接し方を見ていた。“もちろんさ!オレのファミリーなんだから”って言ってくれたんだ。子供たちもいつもオマーのことを訊いてくるし、LE BUTCHERETTES (オマーがプロデュースしたメキシコ産エキセントリックバンド)のテリ(・ジェンダー・ベンダー/vo,g)も合わせて、みんなファミリーなんだ」



――さっきさ、お子さんを送り迎えにいくと、お子さんの友達に髪の毛を引っこ抜かれそうになる、って言ったじゃない(笑)。似たようなことをTHE OFFSPRINGのヌードルズ(g)も言ってたよ。子供の友だちに“なんでキミのお父さんは髪の毛あんなにツンツン立ってんの?”とか“なんでほかの人たちと髪の毛の色が違うの?”って質問攻めに遭うんだって。同じだね(笑)。
「そうなんだよ。ANTIMASQUというバンドをやってたときはできるだけ子供たちをツアーに同行させるようにしてたけど、あの頃はまだ2歳だったからなかなか大変だったよ。だけどとても気に入ってたね。ステージに上げると特に喜んでた。最近、テキサス州オースティンでライヴをやったんだけど、サウンドチェックに連れていったら速攻楽器を手にして演奏を始めてたよ。みんな大笑いだった。オレがやれって言ったわけでもないのにやり方を知ってるんだよね」

――で、お子さんたちを将来ミュージシャン、バンドマンにと?(笑)
「子供たちがやりたいと思うことはなんでもサポートするつもりさ。だけど子供たちの一番望むことが音楽になるんじゃないかなっていう不思議な予感がするんだ。5歳だっていうのに、THE RUNAWAYSの“Cherry Bomb”しか聴きたがらないしさ(笑)。あと、DESENDENTSとRAMONES。決してオレが強制してるわけじゃなく、ただ家んなかでかけてるだけなんだけど、“もう1回かけて”って言われるんだ。最近はBEASTIE BOYSも。ある日彼らのMVを観たんだ。そしたらアド・ロックを指して“あの人誰?”って。今じゃお気に入りで、“ごっこ遊び”をしてるほどさ。ホントおかしいよね(笑)」

――昨夏サマソニでのライヴはホントにすばらしかったよ。その前の来日のフジロックでのライヴとは正直大違いだった。動画を観ただけなんだけどテンションの違いは明らかだったもの。
「再結成がプロセスになるってことは初めからわかってたんだ。2011年の再結成んときは、ただできるものでもないとわかってたから、厳選したごく少ない数のライヴをやろうと決めた。すべてをやり直す必要があるってわかってたからね。今思い返しても、あれは本格的に再結成するための、ただのベビーステップだったことが理解できる。で、なにがうまくいったのか、うまくいかなかったのかを見極め、パーソナルな問題がまだ残ってるとしたらなんなのかを解明していった。その再結成プロセスが自分たちが親として、40代の人間としてどんな状況にあるかを教えてくれた。お互いを卒業して、コミュニケートするような感じだったよ。オレはいつも“ロックンロールは機能不全をどうにかする磁石だ”って言うんだけど、ロックンロール界のなかには、ライヴでしか人とコミュニケートできない人たちもいる。ありったけの問題をそこで吐き出してさ。日常生活だったら逮捕されてしまうような問題も。ステージ上で自分のなかの悪魔を解き放つんだ。繰り返すけど2012年のライヴは再結成のなかでのベビーステップに過ぎなかった。それが結果として、今回につながった。離れてみて、なにがうまくいったのか、本当にやりたかったのはなんなのか、どうすればお互いコミュニケートできるのか、そしてお互い嘆きの時期をどうやって乗り越えるのか…オマーのお母さんは亡くなったしね。その知らせを聞いて間もなく、うちのワイフの妊娠が判った。READING & LEEDS FESTIVALに出た頃だったね。家に帰るとワイフの面倒を見ることが生活のすべてになった。なんとか子供たちを世に送り出してやりたかったから(笑)。そうして子供たちが生まれ、少し生活が安定してくると、どうやってやっていこうかと思うようになった。全員に同じ立場に立ってもらうのはなかなか難しかったよ。それが2011~2012年。どうすればうまくやっていけるかを思案してる最中だったんだよね」

――前作『RELATIONSHIP OF COMMAND』(2000年)を出してしばらくしての頃までメンバーみなそれぞれ自分で機材の搬入をし、ちっちゃなバンに乗り込み揺られながらあちこち移動してたじゃない。そういうのって間違いなくメンバー間の絆を強め、コミュニケーション度も高めたと思うんだ。だけど長い時間を空けての再結成じゃコミュニケーションをもう一度ゼロからとらなければならなかったんた?
「そうだね。実は一緒にいるときですら最初はどうやってコミュニケートすればいいのかお互いわからなかった。ひとつオレたちを結びつけてたものは、地元テキサス州エルパソから出たかったっていう思いじゃないかな。バンドを知ってもらいたいという言葉にしないパーソナルな目標がメンバーそれぞれのなかにあったんだ。だけどそこにほかの問題が介入してくる段階がやってくる。そうするとどうやってコミュニケートすればいいのかわからなくなってしまうんだ。さっき言われたけど出会ったときは24、5歳だった。ロックバンドにはいたけど、人生のリアルな問題が起こり始める年頃だ。そうするとそれを心のなかにしまっておきがちなんだよね。内側に秘めておくとそれはひたすら成長し続ける。そしてあるときステージで露呈するか、別の形で露呈してしまって、もうコイツとは一緒にやりたくない、と思うようになってしまうんだ。ロックバンドにはありがちなことだよね(苦笑)」

――最後に…どうしてジム・ワード(g)は今回の再結成に加わらなかったの?
「さっきのベビーステップの話になるけど、アイツは気が進まなかったんだよ。リハーサルにはきてたけど、心と注意が別のところにいってた。本当にやる気があるわけじゃなかったのが目に見えてわかったんだ。アイツはカジュアルにちょこちょことライヴをやるくらいの気持ちだったんじゃないかな。だけどこのバンドは大きなマシーン的な存在になってきたから、ただニューメキシコ州アルバカーキで1回ライヴをやるとか、週末だけやるとか、そういうわけにはいかないんだ。フルタイムでコミットしないと。そこまでやりたくないようなのが彼の仕草からわかったから、“オマエの行動を見てればわかる。気が進まないんだろ?”」って聞いた。“残りのメンバーは家族持ちだけど家族生活を犠牲にしてでもやるつもりだ”とも言ったんだ。アイツはとにかくそうはできなかった。じゃあ抜きで再結成を進めるしかないなということになった。だけどアイツはアーティストとしてもギタリストとしてもすばらしいよ。スクリームの声も見事だ。バラードもアコースティックもいけるシンガーだ。いつかは一緒にやってくれるかもしれないね。アイツはエルパソで自分のレストランを経営してるから、よく会いにいくんだ。いいレストランだよ。そのたびに“オマエはすばらしいレストラン経営者だけど、それ以上にすばらしいギタリストなんだよ”ってジムには言ってるよ。“それを忘れないでくれ”ともね(笑)」





文・有島博志
通訳・染谷和美
翻訳・安江幸子