BULLET FOR MY VALENTINE(BFMV)の通算4枚目の新作『テンパー・テンパー』が、2月6日に
日本世界最速発売される。前作『フィーヴァー』(2010年)で切り開いた新境地をさらに押し広げる
など、さらなる進化・成長を堂々見せつけた、実に“BFMVらしい”会心作だ。特にヴォーカル&コー
ラス面の再強化、曲の純度の高さ、濃度の強さは聴きどころだ。この新作発売を機に、今日までの
BFMVを短期集中連載で振り返ってみよう。

BFMVは98年、イギリス南西部ウェールズ地方の小さな町、ブリッジェンドで結成された。
マシュー“マット”タック(vo,g)、マイケル“バッジ”パジェット(g,vo)、マイケル“ムース”トーマス(ds)、
そしてニック・クレイドル(b)なる顔ぶれでJEFF KILLED JOHN(JKJ)を名乗り、METALLICAや
NIRVANAなどのカヴァーを主に演ってた。ジェイソン“ジェイ”ジェイムズ(b,vo)が加入するのは
もう少し後のことだ。この頃のバンドを知る日本人はほぼ皆無と言えよう。メンバーのほとんどが
ハイスクール時代からの友達で、同郷にはLOSTPROPHETS、FUNERAL FOR A FRIEND、
KIDS IN GLASS HOUSESらがいる。マットが言う。

「結成当時から将来プロになることを目指してたけど、活動はなかなか思うようにはいかな
かった。少し経つとベース(ニック)が脱退してしまったので、しばらく活動を休止せざるを得
なかったんだ。募集でジェイを迎えた後にOPPORTUNITY IN CHICAGO(OIC)なるバンド名で
活動を再開したわけだけど、BFMVと再改名したのはごく最近のことで、2004年春だったよ」


この発言は、6曲入りミニ作『ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン』での日本正式デビューが2005年
7月に決まったときに実施した電話取材でのものだ。この頃のマットは今現在とは違い、口数が少なく、
淡々としてたことを覚えてる。後にこのことをマットに訊いたところ「取材にどう答えてイイのかすらわか
らなかった時期だったんだ。だから必然的に答えも短くなってしまった」と返ってきた。で、BFMVの意味
については、こう語った。

「自分たちのダークな歌詞や音楽性を表わす名前でね。“ある人のことをこれほどまでに愛し
てるのに、同時に憎しみも抱いてしまう”というような暗い面がある。それまでも長いバンド名
だったけど、決して意図的にそうしてるわけじゃないんだ(笑)。ちなみに、BFMVは飲みにいった
帰りに酔っ払いながらムースと考えたんだ(笑)」


「酔っ払いながら考えたんだ」っていうセリフは、実はマットからよく聞くフレーズだ(笑)。

OIC時代に制作したデモ音源『YOU/PLAY WITH ME』が話題になり、BBCラジオ1でも紹介されるよう
になったことが大きな後押しとなって、BFMVに改名後、バンドはSony BMG(当時Jive/BMG)との間に
作品5枚という大型契約を締結し、メジャーデビューを決めた。自分が彼らに出会ったのは、これから
だいぶ経った2004年夏頃のことだったと記憶する。当時の日本のレコード会社BMG(現ソニー)の輸
入盤セクションに“激しい音楽好き”がいて、彼から「ヤバいっスよ、この新人!!」と紹介され、まだ本国
UKでも発売前だった上記ミニ作の音源(本国仕様5曲入り)がCD-Rで送られてきたのが最初だった。
もしかすると誤解を与える言い方になってしまうかもしれないけど、作品の冒頭の“ハンド・オブ・ブラッド”
1曲で十分、イヤ十二分だった。この1曲だけで完全にトバされ、持っていかれ、グ~ンッとのめり込んだ。
あまりにもフレッシュで、カッコよ過ぎで、その“激しい音楽好き”と結託し(笑)、「絶対に日本正式デビュー
を決め、来日もしてもらおう。間違いなく多くの人たちに気に入ってもらえるバンドだから!」と盛り上がり
に盛り上がった。日本正式デビューが(当時)BMGから、に決まるまでにはそれからまた時間がかかっ
たものの、それが自分にとってのBFMVとの衝撃的な遭遇であり、その後長くいちファンとして応援し、
並行して音楽メディアの人間として仕事でかかわる第一歩となった。
なかなか「日本正式デビュー決定!」の一報が聞こえてこないことにシビレを切らし、FMラジオ番組
GrindHouse fmやGrindHouse channel(USEN)で「ハンド・オブ・ブラッド」のほか「ジャスト・アナザー・
スター」「クライズ・イン・ヴェイン」「4ワーズ(トゥ・チョーク・アポン)」をかけたり、選曲したり、と完全に
前のめりとなってた(笑)。

BFMVの音楽を第1聴時、「METALLICAからの影響がけっこう強いかも」とピンときた。先述した電話取材で、
マットは自らの音楽的バックグラウンドやBFMVの音楽について、こう説明した。

「うん、そう。10歳の頃から聴いてるMETALLICAから1番影響を受けてる。デスメタルも聴くけど、実は
アコースティックものも好きなんだ。なかでもダミアン・ライス(アイルランド出身の男性シンガー)が特
に好きでね。メンバー全員が共通して影響を受けてるのはほかにPANTERAやMACHINE HEAD、そして
KILLSWITCH ENGAGEかな。

(BFMVの音楽に“21世紀メタル”っていう言い方ってあり?っていう質問に対し)
いいネーミングじゃない! オレたちは80年代のグラムロックからPANTERAのようなパワーメタルまで、
自分たちの好きな音楽をメロディアスに融合させてるんだ」


やっと日本正式デビューが設定されたのは、2005年7月のこと。ミニ作オリジナル収録曲5曲に「4ワーズ
(トゥ・チョーク・アポン)」と、同曲と「ハンド・オブ・ブラッド」のPVがエンハンスドで追加される日本盤独自の
仕様での発売に。そしてそれを受け、ライヴを観るために渡英も決めた。イギリス中部レスターシャーにあ
るドニントンパークで開催される、今や恒例のDownload Festival 2005の中日6月11日、スニッカーズ・
ステージ(つまり2ndステージ)にBFMVが出ることになっていたからだ。当日の出番はMESHUGGAHの後、
LAMB OF GODの前で、オープナーからは7番目だった。

このとき現場じゃいろいろな事情によりBFMV
の対面取材の予定はなかった。それでもなん
とかメンバーに接触しようと、ライヴを観ては
楽屋裏に戻り、またライヴを観ては楽屋裏に
戻りを繰り返しつつ、その機会を窺ってた。
正直、楽屋裏から各ステージまではかなりの
距離があるため相当体力を消耗したけど(笑)、
2005年5月末発売のGrindHouse magazine
Vol.30(絶版)にちっちゃいBFMVの日本正式
デビュー決定の記事を掲載してたこともあり
(写真左)、挨拶し、その見本誌を渡し、立ち話
でも、と。というのも、このときすでに初来日の
話が水面下で動いてて、サマソニ2005への
出演が有力視されてたので、どうしてもその前
に面識だけでも得ておきたかったのだ。これが
できるのと、できないのじゃ来日時の対面取材
でのノリもヴァイブも全然違う。「はじめまして」
と言って話を始めるのと、「この前○○○で会って
る よね~」と相手から言われ、軽~く盛り上がる
なか質問する、その差はとてもデカい。

とは言え、現場での対面取材の予定がなかったわけだから、当然BFMVにはなんの連絡もいってない。
たとえばマネージャーを知ってるとかだったら、スムーズにメンバーに紹介してもらえたのだけど、当時
はマネージャーが誰なのかすらもわからなかった。つまり完全なる“アポなし突撃”しか手立てがなかっ
たわけだ(笑)。楽屋裏にはところ狭しと簡易なドレッシングルームが立ち並ぶ。それらを見渡した瞬間、
ついにBFMVのドレッシングルームを発見、メンバー全員がいることも確認できたので、思い切ってドアを
ノックしてみた。すぐさまドアが開き、ジェイが出てきて応対してくれた。ライヴを観にいく時間が迫ってた
こともあり、自己紹介に挨拶にと一気にまくし立てたらラッキーなことに部屋のなかに招き入れてくれた
ので(圧倒されたのかも:苦笑)、マット、バッジ、ムースと握手をし、GrindHouse magazineを見てもらい
ながら説明し、BFMVの音楽の話もして、「それじゃ日本で会いましょう!」と言ってその場を後にした。
そのときの4人の表情はまさにポカ~ンだったことは言うまでもない(笑)。

そのとき自分がとった行動は、まさしく暴挙だ。マナー的にもよろしくないし、この世界の最低限のルール
をも飛び越えてる。だけど自分にそうさせてしまうものが、BFMVにあったのだ。それから数時間後、自分
はBFMVのライヴにブチのめされることになるのであった。


次回に続く…(2013年1月22日更新予定)