遅ればせながら、だけど、3月8日(金)に一夜限りのBULLET FOR MY VALENTINE(BFMV)の
来日公演が決まった。『TEMPER TEMPER』発売記念 <RIOT IN TOKYO 2013>スペシャル・
ギグ@東京・恵比寿LIQUIDROOMが、それだ。アッと言う間にチケットは完売した。年内早めの
再来日を切に望む。

通算3枚目『FEVER』の発売が2010年4月にセットされた。日本は再び欧米より先行発売となった。
その作風や音源についての詳細は機会を改める。マット(vo,g)がノドを患い、手術したことから声色や
歌唱法を前とは変えてきたこと。初フル作『THE POISON』(2005年)と2枚目『SCREAM AIM FIRE』
(2008年)で“BFMV音楽的第1章”を完全に綴り終え、“第2章”へと進むタイミングが訪れてたこと。
そしてプロデューサーがイギリス人、コリン・リチャードソンからLINKIN PARKほかとの仕事で超高名
なアメリカ人であるドン・ギルモアに交代したこと。この3つの要素が大きくものを言い、『FEVER』は
BFMVの作品以外の何物でもない一方、明らかに前2作とは違うテイスト、ニュアンス、タッチ、ヴァイブ
を放ち、一部のファンの間じゃ物議を醸した。まぁそれもわからなくはなかった…。

記憶が定かじゃないのだけど、確か『FEVER』のフル音源が到着したのが、2010年1月下旬あたり
だったと思う。もちろん即聴きし、上記した進化・成長・発展・変化点をハッキリと感じとれたことも後押し
になり、現地対面取材・写真撮影実施を迷わずに決めた。日本のレコード会社の(当時の)担当氏にその
旨を正式に申請し、本国レコード会社のインターナショナル部門や所属のRaw Power Management
と実施日時を調整してもらいつつ、写真撮影でメンバーにお願いしたい、ぜひ協力してほしい細かい
状況/背景設定を考え、形になるたび逐一伝えた。日本を発ち、イギリスへと向かう前には予定実施日/
開始時刻、場所が大方決まってて、「細かいことは現場で直接メンバーと話してほしい。現場にはバンド
しかいかないから」と“決定項”を携えての渡英だった。これは非常に希なケースで、出発前に取材/撮影
の詳細が大方フィックスするなんていうことは年に数回あるかないかだ。とてもラッキーだった。
取材場所に指定されたのがウェールズ地方カーディフ。「実施予定日を数日後倒しにすればロンドンで
できるようですけど」と担当氏は気遣ってくれた。が、しかし、自分はカーディフでお願いした。

あくまでも個人的なことだけど、大学卒業後に短期間ながらイギリスに住んでたことがある。その前も
その後も何度もイギリスを訪れたことはあったものの、1度もウェールズ地方にいったことがなかったし、
なによりもかによりもBFMVを輩出した地元で会い、取材だ、写真撮影だ、をしたかった。当日は車移動
だった。現地のカメラマン/通訳嬢、そのアシスタント嬢、そしてドライバー氏の計4人で、自分が滞在し
てたロンドン市内のホテルを昼に出発し、カーディフへと向かった。車移動としたのは、撮影機材が膨大
な量になったから。それだけ取材はもちろん、写真撮影にも強いこだわりを持ってた。当然、早くも
GrindHouse magazine次号での表紙登用も密かに心のなかで決めてた(笑)。ロンドンからは3、4
時間で現地に着いた。指定場所はメンバーいきつけのカフェ&レストランで、その2階フロアをマネージ
メントの計らいで3時間ほど貸し切ってくれた。開始予定時刻の1時間前には現場に着いてた。とても
時間的余裕があるように思えるかもしれないけど、まったくそんなことはない。撮影機材をすべてフロア
に上げ、ロケハン(撮影する背景や環境を探し、決めること)をし、1番最初の撮影場所に機材をセッティ
ングする。それから取材道具を再チェックし、いつでも始められるように準備万端状態にした。このペー
ジの右下にもあるように、HMVオンラインにてLINKIN PARKをはじめTHE OFFSPRING、MARILYN
MANSON、10-FEETの、このBFMVと同様のストーリー連載をやってる(オフスプとマンソンはすでに
終了。リンキンと10-FEETは引き続き連載中)。そこにも書いたのだけど、自分は取材現場で相手アー
ティストに関する事実の再確認とかは一切しない。事前に聴いた新音源に対する第1印象を、頭んなか
にあるそれまでのメンバーの発言や活動キャリアの推移などを併せて質問する。だから質問状なんて
いうものは作らない。新音源やそれまでの活動キャリアなどになにか特筆すべき点があれば、それを
ほぼ殴り書きしたメモを机上に置いておくだけだ(ホントに殴り書きなので、ほかの人が見てもなにがなん
だかサッパリわからない:笑)。早めに準備が整い、まだ誰1人としてメンバーもきてなかったこともあって、
2階の窓からしばしカーディフの街並みを眺めてみた。曇天で、小雨がパラつき始めてた。特になにかが
あるわけじゃなく、典型的なイギリスの郊外都市のように映った。そしてこの日のこのときがカーディフの
街並みを短い時間ながら眺められた最初で最後の瞬間となった。現地取材とはこういうものだ。

現場にマネージメントや現地レコード会社のスタッフがいない。「もし貸切時間をオーバーするようなこと
があったらその場でお店のスタッフに交渉するように」。あくまでも自分的解釈からいくと、これはもうある
意味“フリーダム”を与えられたと同じで、ヘンな話メンバーがOKならある意味なにをやってもイイという
“お墨つき”をもらったようなもの(笑)。その後にライヴが控えてない、っていうのも気が楽だった。そうこう
してるうちにジェイ(vo,b)、パッジ(g,vo)、マット、そしてムース(ds)と1人ずつメンバーが到着し始めた。
そのたびに久しぶりの再会の挨拶をしながら取材の機会を与えてくれたことに感謝の意を述べ、そのま
ま世間話などの雑談に入っていった。こうした現場での、こういうとりとめのない話はけっこう大事で、笑っ
たり、盛り上がったりするヴァイブや雰囲気がそのまま取材や撮影に移り、イ~感じで進むことが多い。

メンバー全員が着替え、マットがクセっ毛をアイロンで伸ばすなどのセットを終えた後、まず写真撮影から
スタートした。グループ写真を2階をあちこち移動しながら4~5パターン撮り、それからメンバー個人個人の
撮影に入り、順次終えていった。続いて当時TOKYO MXで放送してたGrindHouse tv用の映像コメント撮り
に突入した。この時点で早くもスタートから2時間半が経過してて、貸切時間3時間まで30分に迫ってた。
ホンの数行で書いてる撮影だけど、実はパターンやメンバーを変えるたびに背景や環境も別のものにする
ため、その都度撮影機材も1度解き、再セットしなければならない。みんなが思う以上に時間を要することな
のだ。かつ「時間がない、早くしろ早くしろ!」とケツを叩く役割の人(上記したマネージメント、現地のレコード
会社のスタッフ)が不在なため、どうしてもバンドや我々のペースで進めることになる。必然的に時間は押し
押しとなっていく(苦笑)。そしてその日最後に、マットに取材した。開口一番『FEVER』についてこう言った。

(ノドを患い、手術したことによる苦境を乗り越えたことで)うん、おかげで今は自信満々さ!オレたちの
これまでのキャリアで断トツで最高の作品だよ。『ザ・ポイズン』『スクリーム・エイム・ファイア』とい
う前2作があれだけ成功したことを考慮すると、新作(『フィーヴァー』)はもっと成功するんじゃないか
っていう予感がする。誰もが気に入ってくれるわけじゃないだろうから、批判だってされるだろう。
だけど好意的な評もあるだろうから、全般的には発売が楽しみだよ」


取材を終え、時計を見たら予定の貸切時間を
1時間以上もオーバーしてた(汗)。4時間以上
もの長い時間を我々の取材と撮影に割いてくれ
たことに、この場を借りて改めてBFMVに感謝
の意を述べたい。その間に現地のレコード会社
やマネージメントから「どう、うまく進んでる?」
なんていう確認の電話が1度もなかったことに
はちょっと驚いた。完璧なる放任主義とでも言う
んだろうか(笑)。メンバーが現場から立ち去った
後、残った我々はゆっくり(決してチンタラじゃな
い:笑)後片づけをし、そのカフェ&レストランを後
にする頃には夜の8時を回ってた。帰路の途中
で夕食を摂ったこともあって、ロンドンの投宿先
のホテルに帰り着いたのはゆうに深夜12時を
過ぎてた。丸1日をかけてのBFMVの取材/撮影
だったわけだ。

このときの写真と取材の一部は、2010年3月31日
発売のGrindHouse magazine Vol.59に掲載した。
左と下にあるのが、それらだ。





次回に続く…(2013年2月20日更新予定)