Download Festival 2005は初のOzzfestとの共同名義開催で、それを実にわかりやすく指し示すように
2日目、6月11日のメインステージのトリに、BLACK SABBATHが据わった。さらに3日目メインステージ
にはトリにSYSTEM OF A DOWN、コ・ヘッドラインにSLIPKNOTがラインナップされるなど、その絢爛豪
華な出演陣から場内は常々どこを見回しても人、人、人、また人の、まるで“人のじゅうたん”のような光景
が広がってた。(当時の)スニッカーズステージ(あのチョコバー、スニッカーズがスポンサーについてる)、
つまり2ndステージは場内の隅っこにあり、巨大なテント下のステージ。フジロックに1度でもいったことが
ある人ならわかるだろう、レッドマーキーを思い描いてくれればイイ。

前回に書いたとおり、BULLET FOR MY VALENTINE(BFMV)は2日目の2ndステージに出演した。
MESHUGGAHとLAMB OF GODに前後を挟まれる感じで、だ。今じゃ実現があり得なさそうな強力な出順
だけど、BFMV登場のしばし前からテント下はまさに観客でギュウ詰め状態。早々と入場規制もかかってた。
当時、日本でも“BFMV熱”は沸々とき始めてたけど、現地じゃ早くも“爆発目前”にあり、“UKラウドロック/メタ
ル界久々の超大型新人”との呼び声が高く、注目度、期待度も異様なまでに高かった。ここらへんのことは、
日本正式デビュー作となった6曲入りミニ作『BULLET FOR MY VALENTINE』(2005年)のライナーノーツに
も書いてる。

BFMVステージ登場寸前のMCによる紹介の言葉もめちゃ力が入ってて、「次に登場するのは、我が国イギ
リスが生んだ、今もっともフレッシュで、もっとも勢いに乗るニューカマー、BULLET FOR MY VALENTINE
―――――!!!!!」と叫んだ。この一声があたりをつんざいた途端、まるで目の前でなにかが爆発したような錯
覚すら覚えた大歓声が巻き起こり、強烈なるエネルギーが客席からステージに向かって吹き上げられた。
これだけでもう背筋がゾクッとし、目頭も熱くなった。ライヴ観戦時の極上のひとときのひとつだ。ヘンな言い
方だけど、それはライヴ本番を観る前の時点で、早くも自分がBFMVに対して“腹んなかで強い想いを決め、
くくった”瞬間でもあった。2005年7月31日発売のGrindHouse magazine Vol.31にこのときのフェス全体の
ライヴリポートを掲載してる。そしてBFMVについて、こう書いてる。





「2nd(ステージ)にいき、今回観たかったバンド
のひとつ、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン
に備えた。すでにテント内は満タンで、彼らに
対する現地での人気度がいかに高いかをハッ
キリ、この目と肌で感じた。そして夕方5時40分、
MCの紹介でバンド登場。大歓声が上がり、渦
巻くなか、“ハンド・オブ・ブラッド”が始まった
途端、あちこちでカオスが噴き出し、さらにテン
ションは高まった。活動歴は長くないけど、EP
を出しただけの(現地じゃ、もう1枚シングルも)
新人だ。だけど、そう思えないほどの整合感に
満ちたプレイ、メンバー間の息の合ったコンビ
ネーションが臨場感を伴わせつつ美麗度の高
いメロディ、バッチリ起承転結した楽曲をよりよい
ものとして聴かせ、マシュー“マット”タック(vo,g)、
ジェイソン“ジェイ”ジェイムズ(b,vo)らによるエモー
ショナルなヴォーカル&激烈スクリームが、さら
に引っ張っていく。
このカッコよさ、魅力が、“4ワーズ(トゥー・チョー
ク・アポン)”“ジャスト・アナザー・スター”と続い
ていくうちに増大していくんだから見事だ。最後
は“ノー・コントロール”だった」









終演後――。観るだけでけっこうエネルギーを使ったし、前回
書いたように、その前のステージと楽屋裏の何往復かでかなり
体力も消耗していたので、正直ヘロッときていたのだけど(笑)、
「やっぱ買うっしょっ!」となり、マーチブース(マーチャン売り場)
へと駆った。BFMVのTシャツは確か2、3種類売られてたと記
憶する。なかでも1番シンプルな、フロントにロゴが赤で描かれ
た黒いTがどうしてもほしかった。普段海外サイズのTシャツの
場合、サイズはMかL。が、しかし、両サイズとも売り切れ。まさ
に「ガ~~~ンッ! ウッソ~~~ン!」である(笑)。ここにもBFMV
の人気のほどがハッキリと表れていたわけだけど、決断は速く、
「大は小を兼ねるって言うし」と自分に言い聞かせながら、XLを
買った(笑)。根っからのバンT好きだ。なんの自慢にもなりゃし
ないけど、かなりの数を持ってる。ここ何年かで、もっともよく着
た1枚がこのとき買ったTシャツで、今じゃボトムからして色落ち
してるし、赤ロゴもヒビ割れてきてる。右にある写真がそれだ(笑)。






日本に帰国するやサマソニ2005参戦での初来日も正式にアナウンスされてた。そして上記ミニ作のセールス
も初動から順調に推移した。実は業界内には「洋楽ロックじゃシングルやミニ作の類はあまり売れない」という
“負のジンクス”があるのだけど、BFMVには見事、その数少ない例外のうちのいちアーティストとなるなどのい
きなりの追い風が吹いた。次作『THE POISON』(2005年)が発売される頃には楽勝で5,000枚を突破し、続く
『SCREAM AIM FIRE』(2008年)発売時には大台10,000枚以上に乗ってた。洋楽ロックの新人によるミニ作と
しては、まさに大ヒットと言える実績だ。こうして日本でのBFMVを迎え入れる態勢、“お膳立て”は完全にでき上
がってた。あとはサマソニ開催、そして初来日を待つばかりだった。が、しかし、そこで誰も思いも寄らなかった
ことが起きた…。

サマソニ2005は8月13、14日の2日間開催された。BFMVはまず、大阪公演に出演した。そして翌日には東京
公演のMOUNTAIN STAGEに出ることになってた。だけど突如、マイケル“ムース”トーマス(ds)が当日の朝に
体調不良を訴えた。この時点で、日本のレコード会社の当時の担当者から電話連絡が入り、「このままいくと出
演キャンセルになるかもしれません」と告げられ、「エッ!?」と絶句すると同時に凍った。その後、担当者から何度
も状況が伝えられた。「ムースはどこにいってもすぐに横になってて…」「これから病院にいくところです」「一応、
医者に診てもらい、点滴も打ったんですけど、一向によくなる気配がなくて…」「今日の出演はかなり厳しいです」。
現場に向かってる最中から会場に到着し、しばらく経った間に刻一刻と変化する事態の説明を受けた。まさに緊
迫のやり取りだった。そして出演予定時刻の数時間前に、「本当に残念です、出演キャンセルです」という報告を
受け、愕然・茫然とした。当然のごとく「ムース頑張れ!」と願ってたし、「BFMVなら絶対大丈夫!」と淡いながら期待
も寄せてただけに、ショックも大きかった。
MOUNTAIN STAGEで前の出番だったFIGHTSTAR終演後にBFMVが出演をキャンセルされることが場内アナウ
ンスされ、マット、パッジ、ジェイの3人がステージに出て大勢の観客の前で事情を説明し、謝罪した。これまでに
欧米や日本で数多くのフェスを観てきたけど、こういう事態が起き、それを目の当たりにしたのは、まさにこのとき
が初めてだった。

サマソニ2005終演後、BFMVはプロモーションのため数日滞在した。そのときのマットとジェイとの対面取材で、
ムースの病状に関してこう答えた。「ムースは来日前から体調が悪かったのかな?」という問いに対してだ。

マット「イヤ、そんなことなかったんだけど、来日前に写真撮影をしてたらヤツの腕から背中にかけて
   湿疹が出てて。そのときはあせも程度にしか思わなかった。特に気分が悪そうにしてたわけじゃ
   なかったから。今思えば、あれがきっと今回の前兆だったんだろう。あの時からヤツの状態は悪
   化する一方だから。さっき救急で病院にいったほどさ」

ジェイ「あと、日本へくる1週間前にスロベニアの洞窟で“サフォケイティング・アンダー・ザ・ウォーズ・
   オブ・ソロウ(ホワット・キャン・アイ・ドゥ)”のPV撮影をしたんだ。その場所が寒くてジメジメして
   たし、かつそこで一晩中撮影してたから、それもよくなかったのかもしれないよ」





このときの対面取材記事は(左)、2005年
9月30日発売のGrindHouse magazine
Vol.32に掲載した。掲載写真がわかるだろ
うか、マットの持つ白いバラの花束の上か
らジェイが血のりを垂らしてる。これは当時
のバンドロゴ左隅に添えられたバラの花と、
“ハンド・オブ・ブラッド”をかけたもので、その
アイディアを説明すると気に入って進んで
やってくれた結果の1枚だ。
当初の予定じゃ、こういう写真を4人で撮る
ハズだったのだけど…。

次回、話はいよいよ初フル作『THE POISON』
と、初の単独での来日公演に入っていく。











次回に続く…(2013年1月25日更新予定)