嵐のような再来日単独公演からしばらくして、BULLET
FOR MY VALENTINE(BFMV)が起こした次なる大きなアク
ションが、初映像作『THE POISON - LIVE AT BRIXTON』
(2006年)の発売だった。再来日からほどなくした2006年
1月28日、BFMVは初フル作『THE POISON』(2005年)の
ツアーのひとつの“節目”として、イギリスのロンドン南部に
ある有名なライヴ会場ブリクストン・アカデミー(現O2アカデ
ミー)のステージに立ち、完全ソールドアウトにした(キャパシ
ティ約5,000人)。音楽ジャンルがメタルであれ、ポップスで
あれ、ヘッドラインとしてこの会場に出演し、かつソールドア
ウトにする、ということはイギリスのアーティストにとって非
常に重要な意味を持つ。まさにそれがひとつの成功のシン
ボルだからであり、“大きなハク”もつくからだ。BFMVはそれ
を初ミニ作『BULLET FOR MY VALENTINE』(2005年)と
初フル作の2枚で、かつ短期間で成就させてしまったんだ
から恐ろしい。現地での人気度の高さ、注目度の熱さがど
のくらいのものだったかが、それからも窺い知れるだろう。
再来日中、マット(vo,g)をはじめパッジ(g,vo)もジェイ(b,vo)
もムース(ds)もみなこのブリクストン公演を本当に楽しみ
にしてて、取材で自ら進んで語り、取材待機中もメンバー
集えば必ずこの話で持ち切りになってたほどだった。







初映像作にはブリクストン公演の模様が余すところなく収められてる。ほかにそれまでに製作された全PV
“Hand Of Blood”、“4 Words (To Choke Apon)”、“Suffocating Under WOrds Of Sorrow (What I Can Do)”
“All These Things I Hate (Revolting Around Me)”“Tears Don't Fall”と、ドキュメンタリー映像、そして当時
オフィシャルWebサイトにコンスタントにupされてたBullet tv映像が大いに満喫できる。日本盤のみ特別仕様で
ライヴ映像本編とまったく同じ音源がボーナスライヴCDとしてついてた。この夜ブリクストン場内のあちこちで
まさに“カオス”が渦巻きまくってたさまを、この映像、音源がつぶさに物語り、観る我々にダイレクトに伝えてくれ
る迫真の作品だ。

当時、マットはこの映像作品に関して、こうコメン
トしてる。写真右にある、2007年3月31日発売の
GrindHouse magazine Vol.41に掲載した取材記
事からの抜粋だ。

「あのライヴはスゴくうまくいったよ。だけど
体調的には決して万全と言える状態じゃな
かった。あのライヴは前回の来日公演から
少し経ってから演ったものだけど、ずっとツ
アーをしてたから疲れ切ってたし、寒さのせ
いでメンバーの数人は風邪をひいてた。
だから演る前はどうなることやらと思ったけど
フタを開けてみれば特効
(註:特殊効果のこと)
もよかったし、観客のノリもスゴかったから
大成功だった、と言えるよ」




事実、マットが歌うのがキツそうな感じのするところが何曲かで観聴きできる。初ミニ作をもって本格的デビュー
を飾って以降、休みらしい休みなどないまま、世界各地をひっきりなしにツアーしたことにより、メンバー全員の
疲れはピークに達し、ほとんど困憊状態だった。これがマットのノドに過剰な負荷をかけたことは言うまでもない。
初映像作品発売後もUSツアーが続きに続き、その合間を縫ってUS南部テキサス州エルパソにあるソニック・
ランチ・スタジオ(AT THE DRIVE-INが使用したことで有名)で、次作の制作にも取りかかってた。
実はこの頃のUSツアー中にこんなハプニングがあった。ROB ZOMBIE、LACUNA COILと巡演中に、マットが
オフィシャルWebサイトで不満をぶちまけ、突然そのツアーから降板してしまったのだ。

「オレたちに対する待遇が気に入らなかったんだ。ROB ZOMBIEがヘッドライン、その前がLACUNA COILで、
オレたちは単なる前座だった。それは問題ないんだけど、ツアーでいく会場のほとんどでオレたちのドレッシ
ングルームが用意されなかった。もしくは、ほかのスタッフと共同で使うような場所しか与えてもらえなかった。
さらにはROB ZOMBIEやツアー主宰者は、オレたちのバンド名をステージ上で紹介することが一度もなかった。
そういうことが溜まりに溜まり、自分の意見をサイトに書き込んだだけの話さ」

とマット。

プライドの高いマットのことだ、その扱いにカッチ~ンときたんだろう(笑)。当時、このハプニングは大変話題になり、
世界中をアッと言う間に駆け巡った。が、しかし、それが大ごとになりBFMV自らがツアーから身を引いたのか、それ
とも誰かに降板させられたのかは不明だった。「降板させられたんだろ」っていうのが大方の見方だったけど…。

初映像作品のUKオリジナル発売は2006年10月。日本盤発売はタイムラグがあり、2007年4月だった。6月4日
に3度目の来日で一夜限りのSHIBUYA-AX公演が決まってたからだ。マットもそれに向けて、こう抱負も語ってた。

「(その公演じゃ)特効を使いたいと思ってるんだ。パイロとかスモークとか。普通のライヴにはしたくないね。
まさにBFMVというライヴを演りたいんだ。もちろんバンドだけがステージに立つライヴもエキサイティング
だけど、本当の意味でのショウをしたいと思ってる。それからしばらく経った時期に次作を発売する予定さ」


しかし、この公演は直前になって延期された(同時期に予定されてたヨーロッパでのMETALLICAとのジョイントライ
ヴもキャンセルに)。マットのノドの状態が一向によくならず、手術にも踏み切ってたからだ。延期日程はすぐさま調
整され、公演地も増え、8月に東名阪を巡演する3都市3公演として再アナウンスされた。その公演前に最新ライヴ
リポートを届けたい、と思い、US南部アーカンソー州リトルロックへと飛んだ。会場のザ・ヴィレッジで観たライヴには
ESCAPE THE FATE、そしてファンの間で“小AVENGED SEVENFOLD”と囁かれてたTHE CONFESSIONがサポー
トアクトとして出演した。


GrindHouse magazine Vol.42掲載のこの
ときのライヴリポート(写真左)で、自分はこう
書いてる。

「マットがノドを痛めて完治してないことも
あり、ときにあまり声が伸びず、歌いづら
そうにしてたことが何度かあった」


と――。
そのライヴ現場じゃなく、後日改めて電話取材
の機会を設けてもらい、ジェイにマットのノドの
状態について訊いたところ、こう楽観的に答え
てた。




「ちょっとマットのノドが故障しちゃってね。確かに手術したけど術後の回復も順調だから全然心配いら
ないよ、大丈夫。もうすぐもとの状態に戻るから。確かにヨーロッパツアーのキャンセルや、再び日本に
いくのが少し延びちゃったのは残念だけど、やはりマットの健康状態の方が最優先だから。起こってし
まったことは仕方ないし、くよくよしないで先のことを考えるようにしてるよ」


実はマットのノドの状態はもっともっと深刻だったのである…。

次回に続く…(2013年2月1日更新予定)