1度は決まり、アナウンスもされてたBULLET FOR MY VALENTINE(BFMV)の3度目の来日公演が直前
になって延期されたことは、連載前回に書いたとおり。2007年6月4日一夜限りの東京はSHIBUYA-AX公演は
まさに幻と化した。が、しかし、即仕切り直し公演が発表された。巡演範囲も広がり、8月に東名阪の3公演が
行われ、大盛況のうちに終了した。マット(vo,g)がノドを患い、手術まで受けたことは言うまでもなく大変重大な
ことであり、それはツアー延期だけじゃなく、初フル作『ザ・ポイズン』(2005年)に続く次作の発売も予定より大幅
にプッシュバックするなど、バンドの活動スケジュールにハッキリと支障が出てた。もともとの予定じゃ次作は遅く
とも2007年初秋頃には発売されることになってたのだけど、それが急遽2008年1月に再設定。

手前味噌な話で恐縮だ。3度目の来日実施 & 次作発売延期という決して明るくない話題が続いた時期だった
だけに、BFMVに対してなにかインパクトのあることをやり、さらに気運を高めたい、と思ってた。
初ミニ作『BULLET FOR MY VALENTINE』(2005年)で日本正式デビューしたとき、その衝撃の強烈さ、度を
超えたカッコよさ、可能性のデカさなどから正直、密かに腹んなかじゃ「日本で1番最初にBFMVを表紙に登用
するロックマガジンは他誌じゃない、GrindHouse magazineだ!」と1人勝手に決めてた(笑)。で、ピンときた。
「3度目の来日後に発売号で裏表紙に登場してもらい、次作発売のタイミングで表紙!」と。
小誌GrindHouse magazineは奇数月末日発売の隔月刊誌(現在フリーペーパーに転身したものの発行サイク
ルは変わらず)。2007年8月の来日時に独占撮り下ろしの写真撮影と対面取材ができれば、制作スケジュール
的に楽勝で9月末日発売号の裏表紙に間に合う。そして次作発売タイミングでの2008年1月末日発売号で表紙
に出てもらうというのは“つながり”を作れるだろうし、それを継続することもできるかもしれない、と思えた。両号
発売の間隔がたったの4ヵ月というショートタームも、自分的には魅力だった。正直、スタッフからは「時期尚早だ」
と“走り出そうとしてる自分”を止めようとする意見もいくつか出たのだけど、もろ聞く耳持たずで(笑)、当初のひらめ
きどおり実践した。表紙であれ、裏表紙であれ、雑誌にとってのそれらはまさしく“顔”を意味する。雑誌という性格
のメディアで強いインパクトを出すには、やはり“顔”になってもらうのが1番だ。それが下記の2冊だ。


なお、Vol.46のときは独占の撮り下ろしの写真
撮影のみイギリスで行い、マットの取材は電話
で対応してもらった。

3度目の来日時、マットだけじゃなく、パッジ(g)、
ジェイ(b,vo)、ムース(ds)にも個別に対面取材し、
それぞれ別々にVol.44に掲載した。そしてマット
にノドの状態を訊き、それを受け具体的に話して
くれたとき、自分が思っていたより大変な事態に
なってることを知って、愕然とさせられた。以下、
両号掲載のコメントからの抜粋を順を追って読ん
でもらう。

「治療は終了し、完治もしたけど、ヴォーカリ
ストとして言えば、昔とはずいぶん感覚的に
変わったし、前は気にならなかったノドの筋
肉の動きを感じたりしてる。ヴォーカルレッ
スンは受けてるけど、前の声はもう出ないと
医者にもヴォーカルコーチにも言われている
から、今のノドでベストな声を作っていこうと
思ってる」


(次作制作の佳境期と、ノドの手術の時期が重なっ
てたから不安、ストレス、葛藤は相当なものだった
でしょう? という質問に対して)

「うん。その前から『THE POISON』の成功で、
肩にのしかかる期待とかの重みで押し潰され
そうになってたんだよね。それはイイことでも、
悪いことでもあったけど、みんなの期待に応え
られない、ということを考えたら、それが頭の
隅をひとときたりとも離れることはなかった。
そんな状態にノドのことが加わり、気分は落ち
るところまで落ちた。ここ数週間でやっと声が
出せるようになり、ようやく気持ちも上がって
きたけど。気分がもっとも落ち、ノドの調子も
最悪だったときは、メンバーとマネージメント
で話し合い、代わりのヴォーカルをどうしよう
かというところまでいってたから。そのとき、
オレの頭んなかはもうメチャクチャだった。
実際のノドの症状以上に不安と怖さで声が
出なくなり、どうしようもないとまで思ってた。
バンドを辞めるっていう選択肢はなかったから、
じゃあ誰かを入れるかという話だった。オレ
たちはバンドを始める前からずっと友達だから、
簡単な話じゃないんだよね」


特に「メンバーとマネージメントで話し合い、代わ
りのヴォーカルをどうしようかというところまでいっ
てたから」という発言には耳を疑い、そして身体が
硬直しかけたほどだった。それ以降の発言で当時、
マットが精神的に相当追い詰められ、まさにヴォー
カリスト生命において崖っぷちに立たされてたこと
がわかる。

そうしたマットを横で見てたムースはこう言った。

「不安っていうより、怖かったよ。朝、目を覚ますと、もう終りだなんて思ってた。それまであまりにもすべ
てがうまくいってたから、誰かがそれを止めに入ってるんじゃないかとすら思ったから。だからいつもマット
の傍にいて励まし、声が戻ることを祈り、そしてそれを信じてた。リハーサルのときなんてスゴくチューニ
ングを下げてやってたんだ。で、彼の声が出たときはみんなホッとしたし、やっと活動もできるって思った。
それまでは恐怖感を抱いていたけど、声が出たときは本当に嬉しかったね」


その後次作発売のタイミングでの電話取材では、マットはこう語っている。ノドの状態もずいぶんよくなり、それに
併せて気持ちもポジティヴになってきてることが言葉の節々から感じられる。

「ノドは徐々に治ってきてる。今はヴォーカルコーチの下で頑張ってる最中さ。まだ100%自然な状態じゃな
いから。前回日本にいったときはまだ、歌う曲や音階によっては“痛っ!!”と思うときがあって、それは純粋に
手術のせいだったんだけど、今はもう大丈夫だよ。いいクリスマスとなったし、新年2008年もイイ1年になり
そうだよ」


ヴォーカリストが「前の声は出ない」と医者にもヴォーカルコーチにも告げられたら、それはもうほとんど“死の宣告”に
値する。自分にはそういう経験はないものの、「オレの頭んなかはもうメチャクチャだった」と言ったマットの気持ちは
察するにあまりある。が、しかし、マットはなんとかしてその状況を乗り越えようとし、リスケを繰り返したものの当時
のツアーをほぼやり終え、次作『SCREAM AIM FIRE』(2008年)を完成させた。精神面が相当タフな男だ。

「生まれ持った強さだと思う。オレは昔からあらゆる面で強い意志を抱いてきたし、心がクジけてしまうこと
はほとんどなかった。だけど今回(ノドを痛めて)ものスゴく落ち込んだときは、さすがに精神的にかなり堪
えたよ。治療を完全に終え、完治してたのに、ヴォーカル面という見地からしたら、それはすなわちもうこれ
以上はどうにもならないということを意味してたわけだから。だけど時間こそ要したけど、“今のノドの状態で
ベストな声を作り、新しい歌唱法を探っていこう”という切り替えができたんだよね」


通算4枚目の新作『TEMPER TEMPER』が来週2月6日に、いよいよ日本先行発売される。そして3月8日(金)には
東京・恵比寿 LIQUID ROOMでの『TEMPER TEMPER』発売記念<RIOT IN TOKYO 2013>スペシャルギグも
決まった! さらに盛り上がること必至だ!

次回に続く…(2013年2月4日更新予定)